ハ ウ リ ン キ ャ ッ ツ

 五線譜という名の線路を辿り、きみと奇跡を探しに行こう。

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映画紹介「笑の大学」


元々は西村雅彦・近藤芳正のコンビが演じた舞台で、三谷幸喜の出世作。「笑い」をテーマに掲げている分、近い距離でリアルに伝わる観客の笑いそのものすら芝居の一部に含有されていく「演劇」とはまるで異なる「映画」という表現法を取ることにより、この作品がより高みへと昇華したと言い切れる場面は果たしてあったのだろうか。

ごく簡単に言えば、舞台劇としてこれだけ完成された作品を、おそらくは相当の金額を投じて今更映画化した理由が私にはまるで理解不能だったということだ。解りきったことを言うなら、金儲け、ということ以外には。

舞台で演じられた「笑の大学」には場面転換がなく役者がふたりしかいない、というような枷があった。そもそも物語自体が、芝居の上演許可を求める喜劇作家と「戦争中なのだから喜劇なんて冗談ではない」と無茶な脚本改正を迫る検閲官とのやり取り、という大きな枷を構成しているのだ。しかし、演劇では正にその沢山の枷こそが魅力だった。その枷の中で一体何をどう見せてくれるんだろう、という不安の分、終演後の感動は大きかった。

三谷幸喜と言う脚本家は、枷の中だからこそ想像力を羽ばたかせる芝居作りが抜群にうまいし、おそらくは意識して多く作成している。ひとり芝居という枷の「なにわバタフライ」、登場人物が3人だけの「You Are The Top ~今宵の君~」。また、例えば映画になった舞台作品でも場面転換のほとんど無かった、いかにも低予算な雰囲気を漂わす「12人の優しい日本人」などは舞台の上で機能していた枷が映画になってもまだ名残を留めている。
「みんなのいえ」から始まり、「有頂天ホテル」「ザ・マジックアワー」へと抜けていく、三谷幸喜得意の「とある狭い世界に生きる人々」を取り上げて、その小さな世界を魅力的にうまく料理して見せる作品群も優秀だ。舞台では出来ないスケールだからこその映画、と言う選択はとてもうまく機能しているし、もともと箱庭みたいな世界を描くのが上手な日本映画の一種として、以上の映画化作品はきっちりと成功していると思う。

だがこの「笑の大学」を映画にしたとき、最も重要なその枷は意味を失っているように思える。映画に転化したことで劇場の風景、また戦中へと移り変わる浅草の街の様子は盛り込めたかもしれないが、その見せ方は観客の想像力を抑制するばかりで、余りに陳腐に過ぎはしないか。
枷の嵌りまくった中でなんとも素晴らしい出来の原作脚本を心底愛する分、この映画の仕上がりにはひどく落胆させられた。

また、稲垣吾郎の演技について語る術を私は持たない。限りなく悪い意味に取ってくれて結構。では、サルマタ失敬。

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