ハ ウ リ ン キ ャ ッ ツ

 五線譜という名の線路を辿り、きみと奇跡を探しに行こう。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008年2月13日・ロートレック展を見にゆく。


六本木ミッドタウン、サントリー美術館で開催中の「ロートレック展」を見てきました。

ロートレックは今からちょうど100年ほど前の世紀末に活躍したフランスの画家です。
もともと体が弱かったせいで骨折を繰り返し、下半身が成長しなくなってしまうのですが、 ちょうどいろいろな文化の爛熟し始めたパリに居を構え、 「ムーラン・ルージュ」というキャバレーにインパクトあるポスターを描いたりしています。
私はロートレックが好きです。ロックンロールだと、思います。


最初にロートレックという人の絵を見たのはたぶん筒井康隆さんの、その名も『ロートレック荘事件』という本を読んだときです。
この本は筒井康隆さんでなくては書けないような特異なトリックを使ったミステリなのですが、ロートレックの絵についてもくわしく言及があるという、かなり不思議なお得感のある本でした。
ともかくその本を読んだときから私はずっとロートレックの絵のファンです。

平日だったせいかまだ時間が早かったせいかずいぶんゆっくりと見て回ることができました。
いくつかロートレックの絵に関する本などを持ってるのですが、やはり見てみないと分からないことはたくさんあるなあ、と思います。
ムーラン・ルージュのポスターは思ったより色彩がはっきりとして大きく、私はこのポスターはやはりこんな美術館の中ではなく、町のど真ん中に置かれてこそ、行き交う人々の度肝を抜くものなのだということを確信しました。

ロートレックはすごくひとみしりだったのかな、と思います。
肖像画でもポスターでも「モデル」がまっすぐに「絵を見ているもの」=「描き手」を見つめているものは少なく、視線は少しズレたりまったく違う方をむいたりしています。
これはちょっと視線恐怖症に近いような気がします。

彼が娼婦たちを描いた連作では観察者としてのロートレックはほとんど消えてしまい、彼女たちの日常を覗き見しているような卑猥な窃視感さえ絵に漂っています。
すこしいたたまれないほどの落ち着かない感覚。
彼は自分のことを愛しつつ、いちばん嫌いだったのだろうと思います。
彼の描く女の足はどれも妙に小さく、照れたように丸まっています。

私がロートレックを好きなのは彼の描くものがどれもこれも「のっぺり」しているからかもしれません。
立体感というものがまるでないのです。
画家たちが2次元でどう立体を表現しようか考え抜いていた時代にこののっぺり感。
「だってどうやったって絵なんだし」ってロートレックは言いそうです。
でもその「どう転んでも絵」の中でロートレックはのびやかに自分にしか表現できない、なまなましいライブ感や卑猥さを塗り込んでいます。
あるものをそのままに描写しなくてもいいのだな、と私はほっとします。
私も、絵よりもっともっとたちの悪い「言葉」というものを使って、デッサンすること、つまりあるものをそのままに描写することは苦手な方です。
いつかロートレックのポスターのように文章を書けたらと思います。
単純な言葉を選んでなお鮮烈で、確かな広がりを感じさせ、作者の視点がはっきりしているにもかかわらず、自由で完成され、かっこいい。
どこかざらついた質感で少しさみしい、ノンフィクションではありえないがリアリティのある、ロートレックの絵が、私はとても好きです。


六本木という街は風の強い街です。流れているのは人工的な風です。
午前中からロートレックを見ていて満足した頃には午後2時になっていました。
遅い昼食を食べて周りを見回したら、なんだかみんないやに立派な顔をして、「わたしここで働いているのよ」って自慢しながら歩いているように見えました。
六本木に遊びに来ている人もみんな「わたし、六本木で遊んでいるのよ」って、誰かに自慢したいような顔をしているように見えました。
確かに六本木というのは、お金でどうにかなるものならだいたい全部がそろう場所だと思います。
そして、そう言うところが好きな人というのはたくさんいるのでしょう。
そう言う人はきっと六本木で「いつもよりちょっとだけ高いお茶」を飲んで、「いつもよりちょっとだけ高いおみやげ」を買うのだろうな、と思いました。

私はそういうはした金でどうにかなることにあまり興味がもてないたちなので、お茶も飲まないしお土産も買いませんでした。
「昨日よりちょっとだけいい生活」という程度だったら私は「いまのまま」で十分です。
私の欲しいものは、お金では買えないし、持ち帰れもしないものです。


ただし帰りに物見高く寄ってみた国立新美術館はなかなか素敵です。さすがは黒川紀章。蒼い空にガラス張りの建物はゆるくうねり、威張ったサボテンのようです。
2階のカフェの真下がちゃんとちいさいトイレになっているのに笑いました。こういうところに彼の遊び心を感じます。


お金でなんでも買える、外国の言葉や文化の氾濫した爛熟の町。
もしかしたらロートレックのいた頃のパリもこんな風だったのかなあと突拍子もないことを思いました。
ロートレックは街がキラキラして、豊かに見えて楽しそうなその裏にひそむ、娼婦たちの姿や踊り子たちの日常を執拗に描くことが好きでした。
100年たっても人というのはあまり変わらないものなのかもしれません。
この六本木にも夜の片隅で泣く娼婦はいるのだろうかと思いました。


拝啓、ロートレック様。
どれだけ建物が天に向かって伸びても、私たちはやっぱり地面に貼りついて生きています。



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://howlincats.blog114.fc2.com/tb.php/20-55e1ad01

 | HOME | 

Calendar

« | 2017-08 | »
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Monthly

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Appendix

ましま にあ

ましま にあ

Hey ho,let's go!

ましまにあと直接連絡を取りたい方は
mashimania(´・ω・`)hotmail.co.jp
(´・ω・`)を@に進化させて下さい!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。