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映画「ドクター・フィールグッド~オイル・シティ・コンフィデンシャル」

ウィルコ・ジョンソンのライブで30分の特別編集版を鑑賞、それではやっぱりものたりないぜ! 完全版を鑑賞しようそうしよう、行ってきたのだ桜並木の渋谷。映画が始まる前のうすぐらい場内、フィールグッドの曲が延々とかかる中、あっちこっちからパシッ、パシッと、缶ビールのプルトップを開ける音が軽やかに響く。

オイル・シティ・コンフィデンシャル」という題名があらわすとおり、この映画はドクター・フィールグッドと言うバンドの歴史の中でも、オイル・シティ=イギリス/キャンヴェイで生まれ育ったおさななじみ4人が、世界的に有名なパブ・ロック・バンドとして成長するまでを中心に描いている。アルバムで言えば、映画の内容のほとんどが初期3枚、つまりウィルコ・ジョンソンがいた時代のフィールグッド、の物語、ということだね。確かにドクター・フィールグッドのギタリストと言えばウィルコ・ジョンソンの名前が出てくるのは当然だが、ジッピー・メイヨーやジョニー・ギター時代のフィールグッドもなかなかいいと思う少数派?(私もそのひとりだ)にとっては、少々物足りない、か。もしも、いちおうこの映画の主役を決めるなら、やっぱりそれはウィルコ・ジョンソンということになるのだろうな。リー・ブリローが健在だったら、また映画の内容もすこし変わったかもしれない。

フィールグッドの生まれ故郷であるキャンヴェイをめぐりながら、ウィルコが語る故郷への思いが熱い。一風変わったバンドであるドクター・フィールグッドはどのように生まれたのか……ジョー・ストラマーの生き方を追った映画「ロンドン・コーリング」において、ジョーをいまだに慕う多くの人々のコラージュ的なインタビューで「ジョー」という個人を解き明かしてみせた監督のジュリアン・テンプルは、今回、ドクター・フィールグッド(あるいは、リー、そしてウィルコ)を解き明かすために「キャンヴェイ」という土地、そして街そのものに注目する。海抜の低い、大洪水に見舞われた街。それをただ受け入れるしかなかったウィルコの少年時代。陸地続きではなく、橋でつながれた島。ロンドンから離れすぎているわけではないけれど、ロンドンの人々がリゾートに来る場所であるキャンヴェイ。そして街に建設されていくオイルタンク。その街を飛び出していくことになるまで、ウィルコやリーがどんなことを考え、どんなものを見ていたのか、街を巡り、街について語るコンダクター的役割はウィルコに振られているが、彼がカメラを見据えながら語る、ふるさとへの愛もちょっとした皮肉も含めた口調は、そのまま彼が捨ててしまった「ドクター・フィールグッド」というバンドへの郷愁に重なる気がする。

映画を見るとわかるのは、スパーコとビッグ・フィガーはもちろん、羽目を外しているように見えるリーやウィルコもみんなそれなりに「常識人」であったということだな。当然と言えば当然なんだけど、ステージの上の彼らを観ていると、凄まじさに圧倒されて「元からどこか狂ったところのある人たちだからこそ、こういうふうになれたんじゃないか」という、いわゆる「生まれながらのロックスター説」にとりつかれそうになってしまう。でも、実際はああいうステージパフォーマンスをやれる人というのには「常識人」が多いんだよな。常識をきちんと知ってるからこそ、それを踏み越えていくことができる。良いことと悪いことの区別がつくから、それを踏み越えていくことができる。ヒロトさんにも同じことが言えると思うんだけど、映画の中のリーとウィルコはとても静かな口調で話をしていて、話の内容もとても理路整然としている。ウィルコなんて、もともとの職業は教師だったんだもんなぁ。教わってた子供達、ステージの上のウィルコを見たらさぞビックリしたろうなあ。

教師といえば、ちょっと面白いなと思ったのは、彼が教師を辞めたのは「もっと身だしなみを整えて、長髪を切れ」と言われて腹が立ったからだ、って映画の中で答えていたの。私はそれを聞いたときに「あぁ、ウィルコにとって長い髪は音楽をやる上ですごく大事なものだったんだな」って思ったんだよね。でも、すぐ後で「ギターを弾くとき邪魔だと思ったから髪を切った」ってあっさり言っててね、ええぇ?! ってなった。本人は何の矛盾もないみたいに語っていたんだけど、よく考えるとちょっと……いや、だいぶおかしいでしょう。大事なものの価値が、完全に一般的基準とずれてるし、手放すときにためらわないんだよね。たぶんこういう部分に、もともと持っているウィルコの不安定な性格というのが出てくるんだと思った。そして、もしかしたらそれがフィールグッドからの脱退につながったのかもしれない。フィールグッド在籍の最後のほうは、ウィルコはステージから逃げ出して泣いたり……という明らかに精神的に病んだ行動も見せていたようだし、メンバーもたぶんウィルコの不安定で痙攣的なところのある性格に手を焼いて、疲れていたはずだ。いわゆる天才というのは「紙一重」ともよく言われるように、一歩間違えたら「狂人」であり、持っている才能の中のどこかが爛熟している状態だ。熟しているうちが天才で、腐敗が進んでしまえば狂人。ウィルコは天才に近い人だと私は思う。とても惹かれる。でも、ナイフのように光り過ぎる人というのは、その光で周りにいる人を傷つける。リーやスパーコやビッグ・フィガーだって相当才能のある人たちだけれど、きっとそれでもウィルコには、驚かされたり戸惑わせられたりいらっとさせられたりすることも多かったと思う。

ドクター・フィールグッドというバンドを私はとても好きで、リー&ウィルコのコンビがあのまま続けばなあ、と思って夢想することも時々ある。でも、ウィルコ・ジョンソンという人の音楽の作り方を見ていると、どっちにしろひとつのバンドに収まらなかっただろうなあ、とも思う。なんというか、たぶん最初は確かにリー・ブリローのために、バンドのために曲を書いていたんだろうけれど、彼の音楽というのはもともともっと大きいものだった、という気が私にはしてならないのだ。バンドがあるから曲を作るんじゃなくて、まず曲があって、それができるバンドを選ぶというか、メンバーを組みかえると言うか。アルバムごとというか、もはや曲ごと、その都度、フレキシブルにメンバーを編成して行くのが合ってるかもしれない。だからきっと彼、あんまり固定のバンドで長続きしないんだと思う。ピック使わないであんなすげえギター弾いちゃうし、ステージでギタリストがそれまでしなかったような糸の切れた人形みたいな動きはするし、あらゆる意味で型にハマらないという点で、ウィルコはやはり天才なんだな。

ウィルコの見たい「宇宙の果て」には真っ暗闇がある。それは彼のギターの音色みたいに真っ暗で、だから私たちはそこに夢を観るんだ。彼の目、絶望の真っ暗闇を何度も観たことがあるの。大きくて丸いのに、やさしいのに、とても昏い。さみしくて、こわいひと。きちがいで、もろいひと。あぁウィルコ、私、またあなたの目玉をのぞきたい。きっと再び、日本に来てくれよ。待ってるからさ。

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