ハ ウ リ ン キ ャ ッ ツ

 五線譜という名の線路を辿り、きみと奇跡を探しに行こう。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ことばというもの/獣の奏者

エイトが生まれてから不思議に、むかし歌っていた童謡やわらべ歌を思い出す。

どんぐりころころ、おもちゃのチャチャチャ、大きな栗の木の下で、メリーさんの羊、ほかにもいろいろ……われながら驚いたのは、私が2歳か3歳の頃に父がよく歌って聞かせてくれたわけのわからん歌(父が口からでまかせに作ったほんとにわけのわからん歌。うちのお父さんは高田純次によく似ていて、口からでまかせの話と口からでまかせの歌が大得意だ)が転がり出てきたこと。本歌は私の名前が入って「にーあちゃんたら♪」って始まるのを「エーイトったら♪」と変えて歌っている。エイトが大きくなって、いつかこどもを持ったら、きっとこのわけのわからん歌が口から飛び出してくる日が来るのかもしれない。そうして、歌は時代を超えて行くのだ。

父のわけわからん歌だけじゃなくて、ありとあらゆる歌を勝手に「エイト」に変えて歌い狂っているのだが、「ぞうさん」の替え歌がマイブーム。

♪えーいとえーいと おかおがかわいいね
 そーよ カアチャンも かーわいいのー♪

さりげなく自画自賛。エイトは布団をごろごろ転がっている。あ、3ヶ月と10日で寝返りをマスターしました。でもうつ伏せから仰向けにはまだなれないので、うつ伏せになったら苦しくて号泣です。ローリング号泣と呼んでいます。私の今の仕事は、うつ伏せになった赤子を一日中ひっくり返す簡単な業務です!


言葉というものを信じて生きてきた。裏切られることもあったけれど、それでも言葉にすくわれることもあった。たくさんの物語が好きで、素敵な言葉を紡いで、どうにかして私の気持ちを伝えたいといろんな試行錯誤をしてきた。言葉に関しては、ひとよりもほんの少し自信があって、言葉を尽くして語りかけることが私に出来る最大で唯一のことだった。
なのに、いまの相手は言葉が通じない。エイトと3ヶ月間暮らしてきて、私が思い知ったのは、言葉では伝わらない何かがこの世には確実にあるということだった。言葉を愛していきてきたのに、なんという矛盾。なんという敗北だろうか。ただ、こんな幸せな敗北はほかにはなかろう。エイトは言葉では何も私に語りかけない。でも、泣き声や微笑み一つで私を支配している。ひとつひとつの動作は雄弁で力強い。私が選んで話す言葉の何倍も美しく、エネルギーに満ちているエイト。

エイトが笑うと私もうれしい。エイトが泣けば私も泣きたい。誰かのために生きたいと、初めてそう思うことが出来た。

言葉でどうにかしようと試行錯誤してきた私の心のある一部分は、きれいだけれどとても柔らかだ。心のそういう部分をぎゅっとつかまれたような気分になるたびに私はそれを言語化しようと試みてきた。心のいちばん柔らかい場所をぎゅっとされるとすごく泣きたくなったりすごく寂しくなったりすごく楽しくなったりするから。クロマニヨンズのライブでもそれは起こったし、ある種の映画や絵画を見たとき、レコードを聴いたときも私は「ぎゅっ」となって、まだ名付けられていないその感情を四苦八苦して言葉に変換してきた。
でも、今回エイトの到来にとって見つけた私の心の別の一面は、とてもきれいだけれど硬い。透き通って何にもないみたいに見える。だから言葉はない。
でも、やっぱりそれは私の心のとても深い場所に突き刺さって、多分もう抜けない。

滔々と、静かに、自分のことよりもっと深く、彼を愛したいと思う。


と、言葉では伝えきれないものの話を書いておいて何だが、相変わらず本は読んでいる。そんな時間はないはずなんだけど、本好きというのはどうにかするもんなんだね。大きな声では言いにくいが時間が惜しくてトイレにまで持ち込んで読んでいるんだよ。さいきん読んでいたのは上橋菜穂子さんの『獣の奏者』全4巻。エイトが出来る少し前から、私は無性にファンタジーが好きになった。それまでファンタジー小説というのがいまいち苦手で、面白いな、と思って読んだのはハリーポッターと十二国記のシリーズくらい。上橋菜穂子さんは『精霊の守り人』などのシリーズの書き手で、私はこの本をすごく年下の男の子に「面白いですよ」と教えてもらって読んだ。本を共有するのって、ちょっといいよね。遠くても同じ思い出を持ってる昔のクラスメイトみたいで。その守り人シリーズがとても面白かったので、今回文庫化されたこの奏者シリーズにも手を出した、というわけだ。本において実にフットワークが軽く、お金をあまり惜しまないのは自分のいいところだと前向きに捉えて、捉えすぎて本が月ごと……よりもむしろほぼ週ごとに増殖し、旦那氏におこられている僕だよ。

奏者シリーズ、実に実によかったです。上橋さんは何かひとつ人と違う特技を持ちつつも、割にふつうの感情を持った女性を主人公にして物語を編むのがうまいな。奏者シリーズ、前2巻が主人公・エリンが若い頃のお話で、後2巻が大人になり、家庭を持った後のお話です。
私、きっとね、いまこの本を読んだのでなければ「前2巻で終わらせてもよかったのに」って、むしろ残念に思ったかもしれない。「大人になった後の話なんていらなかったのに」って。でも、この話だけじゃない、プリンセスが出てくるようなそういうお話だって「おひめさまはおうじさまと幸せに暮らしました」の先にまだ延々と続く生活というものはある。それを書かないから物語だ、もちろんそれもその通りだけれど、私はいまは、もう「幸せに暮らしました」のその絶頂のときよりも、さらにその先、物語の少し向こうにまで興味を持つようになってしまった。私にとっては、奏者シリーズ、前2巻が後2巻を際立たせるための前哨戦のようなもので、前2巻は前2巻で見事に完結している分、きっと著者にとっても後2巻を書く必要があるのかと悩んだと思うけれど(よい物語に「おわり」の文字を記するときほど、書き手にとってどきどきしてうつくしく、素晴らしく寂しく満たされた一瞬はないのです)書いてくれてよかった。ほんとうによかった。

特に後2巻、「その先を見たい」「壊れてしまっても見たい」そんな性分の主人公・エリンに、私はどこかで目をそらしたいような、でもどうなるのか知りたいような、奇妙な感情を抱きながらこの物語を読み進んで行きました。それはもしかしたらあまり好きではないなと思う人のブログを、嫌いなんだけどなあ、と思いながら、なんだかよくわからないけれど更新されるたびについつい読んでしまう、そんな心持ちだったのかもしれません。エリンの進む道に「それは間違いじゃないのか」「残された人はどうするんだ」と反発しつつ関わらずにはいられなかった自分について、読み終わったときにその奇妙な感情の謎が解けました。

つまりエリンと私はどこかで非常に似ていたようなのです。

同族嫌悪というやつなのかも知れません。私は、たぶん彼女と同じ立場におかれたら、彼女と同じように突き進んだでしょう。悩んだり、苦しんだり泣いたりしながら、それでも。物語の中で自分の思いを貫くことが出来た彼女が私には少しうらやましく、かといって、ああいうふうに生きたいか? と問われたら、いまエイトを抱えた私の答えはやっぱり「ノー」なのです。



言葉というものは、物語というものはほんとうに不思議です。


言葉なんて無力だ、と思うときもあるのです。それはほんとうです。


でも、物語は素晴らしい、と思うときも私にはあるのです。それも、ほんとうです。

コメント

nonverbal communication

言葉だけが全てだったら音楽は要らないよね。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

 | HOME | 

Calendar

« | 2017-04 | »
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

Monthly

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Appendix

ましま にあ

ましま にあ

Hey ho,let's go!

ましまにあと直接連絡を取りたい方は
mashimania(´・ω・`)hotmail.co.jp
(´・ω・`)を@に進化させて下さい!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。